ここから本文です。
日置市伊集院町にある中世山城「一宇治城跡」(いちうじじょうあと;同町大田)から出土した陶磁器の中に、龍の文様をもつ粉青沙器(ふんせいさき)があることが判明しました。
この小さな破片2つは、15世紀の李氏朝鮮時代のものとみられ、龍の鱗(うろこ)や鰭(ひれ)が白・黒の象嵌(ぞうがん)が描かれています。
こうした龍を描いた韓半島の粉青沙器の壺・瓶が、日本国内で出土した例はこれまで確認されておらず、これが初めての発見の可能性が高いものと思われます。
平成2年(1990年)の同城調査の際に発掘され、当市教育委員会で保管していましたが、令和2年(2021年)に同教育委員会職員が調査し、第45回日本情報考古学会にて研究成果を発表しました(下小牧潤.「象嵌・鰭文様のある粉青沙器について―鹿児島県日置市一宇治城跡出土資料の検討とその意義ー」.『日本情報考古学会講演論文集』2022年3月1日)。
調査の過程で、韓国国立中央博物館が所蔵する龍の象嵌を描く完形品の壺「粉青沙器象嵌印花雲龍文壺」(ふんせいさきぞうがんいんかうんりゅうもんつぼ)との比較・検討の結果、文様の配置などが酷似していたことから、一宇治城跡出土の本資料も同様に、龍をデザインした大型の壺・瓶であることがわかりました。
なお、韓国国立中央博物館蔵「粉青沙器象嵌印花雲龍文壺」は、平成30年(2018年)にユネスコ世界文化遺産に登録された「山寺(サンサ)、韓国の山地僧院」の構成遺産の一つである「鳳停寺」(ほうていじ/ポンジョンサ;慶尚北道安東市)に伝来していたもので、やはり15世紀前半の李朝前期のものとされ、この壺は現在韓国の国宝となっています。
今後、一宇治城跡出土の粉青沙器の産地推定・入経路などの解明/一宇治城跡の考古学的調査など、当市の考古学・歴史学研究の進展が期待されます。こうした調査・研究の蓄積は、一宇治城跡を拠点としていた伊集院氏や島津氏など、当時の有力者の実態に迫るにとどまらず、中世東アジアにおける国際的な交流の結果をみることができ、モノ・ヒトの遠隔地交渉といった人類史学的な課題にも寄与できると考えられます。
本資料は、現在、日置市吹上歴史民俗資料館で展示中です。なお、本資料が発掘された一宇治城跡は、現在、城山公園として整備されており、どなたでも自由に見学することができます。
上写真:韓国国宝資料と一宇治治城跡出土資料の位置関係図